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正月

 正月は去年の農耕の無事と豊作を祖霊と氏神さまに感謝して新しい年の豊饒を祈願するお祭りです。
 宗教的なものはあまり感じませんし、子供たちにとっては「お年玉」という現金をもらえるまたとない季節です。本来は、魂のシンボルである餅を祖霊にお供えし、そのおさがりをみんなで食べたのが年玉だそうです。子供たちの都合の良いほうに変化をしました。
 変化したといえば、歳の市で縁起物といって小判や福俵、宝船がぶらさがった飾り物を買って正月飾りにする家があります。あれも、今ではあまり見かけなくなりましたが、つきたての柔らかな餅を小さくきってエノキやヤナギの枝に花のように付けた餅花、マユダマといった飾り物の変化したものなのだそうです。
 やむを得ない事とはいえ飾り物は松飾り、しめなわを始め人工的な物が増え、味気なくなりました。
 そういう点で正月の花としてセンリョウ、マンリョウが使われるのは名前の持つめでたさとともに冬の路地に赤い実をつける自然さがあっていいものです。マンリョウはヤブコウジ科の木、「ヤブコウジとはまことに丈夫なもので春は若葉を生じ夏は花咲き秋はみを結び冬は赤き色をそえて梅雨をしのぐめでたい木」と説明するのは落語の寿限無(じゅげむ)です。子供がなるべく長生きしそうな名を考えてついについた名前が長いこと。
「寿限無、寿限無、五劫のすり切り、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住む所、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助」まるで呪文のようですがどれも縁起のよい名なのだそうです。

年男

  年の始めに年神を迎えて、その年の豊作を祈願する祭りの月が正月です。祭られる神様は年神さま、一般に正月さん、年徳さん、お年さん、歳徳神などと言われています。
 正月祭りのすべてを務める人が年男です。本来はその家の主人が務めます。正月の準備の松や年木をそろえ、しめ縄を用意し、煤払いをして、飾り付けをします。大晦日には午前○時に若水をくみ、元旦には最初に起きて湯をわかし、かまどの火をたきます。
 年神への供物のあげおろし、そして、お膳の洗い清めなど何から何までやらなければなりません。女性には正月中の主たる家事をさせない地方もありました。
 今では年男の習慣はすたれて、節分の日、厄落しの意味で厄年の人が年男と称して豆まき役をやる程度になっています。
 

鏡餅 鏡開き (お汁粉)

 正月用の丸餅。昔の鏡が円盤状 をしていたため、この名称になったそうです。年神の降臨をする依代・(よりしろ)"目印''の意味もあるそうです。  鏡餅を神棚や床の間からおろして吸い物や汁粉などにして食べるのが鏡開き。1月11日あるいは20日という地方が多いようです。
 

門松

 正月らしさを最も表すのが門松です。でも、この門松は単なる門口の装飾品ではなく、本来は年神様の降臨する御神木(依代・よりしろ)の一種だったようです。  松に竹を添えたのは江戸時代になってからのこと、門松を立てて置く期間が松のうち、地方によってその日数が異なっています。
 
 

注連飾(しめかざり)

 年神を迎える家に張る縄のことで、神の占有する清浄な区域を示すための縄張り。魔除けの意味、災いの立ち入り禁止の意味があります。
 左よりの縄に伊勢エビや橙(だいだい)、昆布、串柿などを取り付けますが、これは新年を迎えるための豊富な食品のたくわえを示すものです。大晦日に飾ることは1夜飾り、29日に飾るのも苦日飾りといって嫌われていますo
 注連飾など新年の飾り物を取り去るのは一 般には正月14日、子供たち転さって氏神の境内 に集められ燃やされます。この小正月行事が、左義長、ドンド焼き、道祖神、サイの神、なまはげ、ほとはと、カマクラなどの行事です。
 

雑煮

 正月三が日の食べ物で作り方、汁に入れる異などは地方によってまちまち、今でも最も郷土色の強い食べ物と言えます。餅も、東日本では、のし餅を切った切り餅を焼いて清汁仕立にします。  西日本では小さく丸めた丸餅を煮る味噌雑煮が一般的です。雑煮の具は、小松菜、大根、にんじん、たけのこ、里芋、鳥肉などところによってさまざまです。
 
 

七草(七草がゆ)

 7日に七草粥を食べると万病なしと言われます。初春に萌え出た若草の芽を食べることで新しい生命力を身につけようという思いが込められています。
 この七草は「せり」「なずな」「ごぎょう」「はこべら」「はとけのざ」「すずな」「すずしろ」の春の七草のこと、「ごぎょう」は母子草、「すずな」はかぶら・かぶ、「すずしろ」は大根のことです。
 6日の日に若菜摘みをして、その晩に、その若菜をまないたのうえにのせてトントンとたたきます。
 その時に歌う唄が鳥追い歌であることから古くは鳥追い行事であったとされています。
 新年のうちに穀物を食い荒らす鳥を遠くへ追いやっておかないと安心できないほど、鳥の害がどこでも、ひどかったのでしょう。
 「千太郎たたきの太郎たたき、宵の鳥も夜中の鳥も渡らぬさきに、頭切って尻切って...・‥」
 

おせち料理 数の子、黒豆、田作り、昆布巻き

 正月の朝は、家族揃っておせち料理。最近は家庭で作ることも少なくなって、高級料亭の豪華版や、洋風おせち、中華おせちなど変わり種も出ています。その「おせち」とは、「御節供(おせちく)」の略です。もともとは宮中の節日(せちにち)の宴会に供される、ごちそうを意味していました。平安時代の節日とは、1月1日、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日。この日は、神前に食物を供え、お祝い料理を作って宴会をしていました。この宴会料理がいつしかお正月の料理だけをさすようになり、名称も「おせち」と略されたようです。また、宮中ばかりでなく、広く民間にも広まっていきました。江戸時代の「玉勝間」という本には、「年のはじめに、いはゆる振る舞いなどすることを節(せち)といふ」と記されています。  その後は、正月三が日は主婦を休ませるとか、水仕事を避けるとかの意味が加わり、「おせち」は大晦日のうち にお重に詰めておくことが通例になっていきました。数の子は、にしんの子、数多い子すなわち子孫繁栄の意味。黒豆は豆で健康を意味し、一年の無病息災。田作りは、カタクチイワシの稚魚、地方により稲の肥料に混ぜる事で、豊作、米の味をよくするとされていたことから、小いわしを田作りと言うようになった。昆布巻き、よろこぶ事があるようにとの意味。
 
 

小正月(小豆がゆ、団子)

 正月14、15日を中心とする満月正月を小正月といいます。小正月という名称は東日本で用いられ地域によっては花正月、若正月、若年、二番正月、望正月といい望月、女正月などと呼ぶところもあります。小正月行事はすたれていく傾向にありますが行事は複雑多岐、それぞれに地域性があります。今は単なるお遊びと言えますがもともとは年の初めに実際の農耕に先立って種々の物作りの真似ごとをしてその年の豊作を祈願するきわめて呪術的なものでした。
 「さつき祝」は小正月に田植えのまね事をして豊作を祈願する行事です。歌い踊る行事ですが田植え歌は宮城県秋保町で国の指定重要無形民族文化財となり陰暦で実施されていますが青森県八戸の「えんぶり」は芸能化して大がかりになっています。
 若木を用いて農作物をかたどる削掛(けずりかけ)、餅花(もちばな)、繭玉(まゆだま)は広い地方で行われています。「粥杖(かゆづえ)」も削掛で小正月の粥(かゆ)を煮るときにかき回す粥箸(かゆばし)です。春の木で作られることから生産の呪力を秘めた特別の棒と考えられ、この棒で新嫁の尻を打つ「嫁叩(よめたたき)」は全国的な行事でした。嫁でなく果樹をたたいて木の精霊にその実りを約束させる行事が「成木責」です。鳥追棒を打ち鳴らしながら鳥追の動作をするのが「鳥追」、鋤(すき)などで大地をたたくのが「もぐら打ち」、いずれも子供が管理をして行われ遊び化しましたが農耕儀式は生産力を促すもの、祝棒は生産力を象徴する男根と解する人もいるほどです。
 

小豆がゆ

小正月に、平安時代に宮廷行事として行われていた食物の儀式として、小豆粥を食べる習わしがあります。  小豆がゆは邪気をはらい健康を祈るという意味があったようです。
 
 

団子焼き

 小正月行事として、米粉を使って団子を作り、それを木に刺し、子供たちが集まって焼いて食べる行事があります。  団子は、米粉で繭玉(まゆだま)や色彩豊かな花をかたどり、飾りにした小正月飾りです。これを焼いて食べると風邪をひかないと言継がれてきました。
 

成人の日(赤飯)

 昔、武家では男子が成人すると大人の礼服を着せて髪を結い冠をかぶせて、「元服」の儀式を行いました。  元服式を挙げる年齢は家柄や地方によってまちまちで、おおむね、15歳前後でした。それが、現在では20歳になった男女を祝い励ます国民の祝日になり、「成人式」が行われるようになりました。
 
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